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わたしを形作った3つの体験

この3つがなければ今のわたしはない、というような体験があります。

それは、一般的に見ればネガティブな体験なのですが、わたしがマクラメ教室を開いた理由や教室の生徒様に伝えたいことは、元をたどればその3つの体験に由来しています。それぞれについて書くことは自己開示することなので、正直に言うと少し勇気が必要なんです。

とはいえ、令和元年を迎える5月はHANNAHの開講記念月でもあり、この機会に私自身が気持ちを新たにするとともに、皆様にHANNAHマクラメジュエリー教室をより深く知ってもらうため、3つの体験を書き残しておこうと思います。

 

 

わたしを形作った一つ目の体験は母を亡くしたことです。

母はわたしが小学2年生の時に白血病と診断されました。それから4年半の間、入退院を繰り返し、わたしが中一の時に亡くなりました。

病気になってからの母は笑わなくなり、苦しそうで辛そうにしていることが多かったけれど、それでも生きているうちはわたしは母の子どもでいられました。笑わなくても話せなくても、生きていて欲しかった。けれど、闘病の末、亡くなってしまいました。

 

母のお葬式の時、誰かに言われました。「あなたはこれからは娘であり姉であるだけでなく、母であり妻でありなさい」と。そして、何度も、何人もの人に「頑張りなさい」と言われました。

自分で言うのもなんですが、素直で頑張り屋のわたしは「そうか。娘で姉で母で妻で、頑張らなくてはいけないんだ」と思い、その役割を全うしようと心に決めました。今振り返ると無茶な決心だったなと思います。当時のわたしはちゃんと12歳の子どもでした。「今の自分」で精一杯、それ以上のことができるはずがありませんでした。母が生きている時は母が喜んでくれると思うからこそ頑張れたのに、母亡き後はむしろ頑張る甲斐を失った状態。妹たちに母親と認められるはずもなく、妻の役割が分かる訳もなく、わたしの頑張りはただただ空回りするばかりだった気がします。

 

母が亡くなった1年半後に父が単身赴任することになり、私と3人の妹と祖母との生活が始まりました。今は亡き祖母のことを悪く言いたくはないですが、優しい人ではありませんでした。父母が不在の生活で、十分な心の支えを得られず、自分に課した役割に自分で縛り付け、情緒不安定な数年間を過ごしました。

 

 

ですが、時間と共に母を亡くした悲しみは少しずつ癒えました。そして看護師・保健師の資格を取って保健師として働き始めた頃のことです。

 

ちょうど介護保険の立ち上げ準備期に当たり、保健師として毎日毎日高齢者介護の現場に足を運んでは過酷な状況を目の当たりにする日々で、残業も多く、心身ともに疲弊していきました。どんなに頑張っても頑張っても役に立てたという実感のないまま、ある日ぷっつりと糸が切れるように集中力や判断力が落ちていきました。

 

摂食障害や不眠が始まり、次第にひどくなる一方で、しばらくドクターショッピングした後、精神科を受診し抑うつ状態と診断されました。すぐに服薬治療が始まり、仕事も休職したり負担を軽くしてもらったりしましたが、症状はあまり良くならず結局入院になりました。摂食障害、不眠、自傷、希死念慮というような症状の他、幻視・幻聴などの症状もあり、入院中に詳しく検査したところ甲状腺の異常が見つかりました。

 

甲状腺の治療を開始したところ少しずつ病状も落ち着いていきましたが、治療の過程では、食事や入浴は介助してもらい、移動は車いすで、排せつはベッド上で、という時期もありました。結局1年半ほど入院した後、退院することができました。退院後も摂食障害は長く続き、トータルで10年ほどは闘病したと思います。(わたしの場合は甲状腺疾患と抑うつに因果関係があるようでしたが、甲状腺の機能不全があると必ず精神症状が出る、という訳ではなく個人差があると思います。)

 

病気の方が少しずつ落ち着く中で結婚したのですが、甲状腺の機能不全があるので自然に妊娠するのは難しいと分かっていました。夫と話し合って子どもを授かるかどうかはあるがままに任せよう、と思っていたのに、夫が大阪に転勤になるというまさにそのタイミングで妊娠。妊娠した途端、過剰な自意識が子どもに向くようになり、お陰で摂食障害がピタリと治まったのはありがたいことでしたが、母を亡くすよりも抑うつよりも苦しい、双子の子育てが始まります。(それについては「わたしの子育て3(本音編)」に少し書いています。)

念のために書きますと、私は我が子を愛していますし、子どもがいることを本当にありがたい幸せだと思っています。でも双子の子育ては、私にとっては本当にとても大変でした。

 

 

母が亡くなって約10年後に始まった闘病生活。

約10年の闘病生活ののちに始まった双子育児。

そこから更に約10年経ちました。

 

 

マクラメに本格的に出会ったのは子どもたちが6歳くらいの頃です。肩が凝らないことや道具をほとんど使わず両手で作り上げる原初的なクラフトの面白さにすっかり虜になって、毎日ひもを結んでいるうちに気づいたことがあります。

 

制作に没頭している間、日常のもやもやがすべて消えてなくなり、周囲の音も無くなり、自分ひとりになれること(小さな子どもがいる生活の中でひとりだと感じられる時間は本当に貴重!)。

 

時間の流れ方が極端に変わってしまう(たいていはとても早く過ぎるように感じる)こと。

 

自分はこれでいいのだという自尊心と、それとは相反するように自分は社会の成員だという安心感の両方が、特に理由もなく強化される感覚。

 

制作を繰り返す度に積み重なる小さな成功体験。

 

自分で言うのはおかしいかもしれませんが、夫にも「なんだか変わったね」と言われるほどわたしは朗らかで穏やかになっていきました。  

 

 

これって、マクラメの効果なんじゃないかな。

こんなふうに精神衛生的にいいものなら、たくさんの人に効果を実感してもらいたいな。

わたしのような経験をした人・している人が、少しでも心軽く、幸せになれるように、マクラメでお手伝いできたらいいな。

 

そういう思いで教室を始めましたので、マクラメのテクニック以上に『マクラメ制作を通して自分で自分を幸せにできる』ということを生徒様にお伝えしたいと思いながらレッスンをしています。マクラメ制作を通して幸せになるために、上手に結ぶことだけでなく、「制作に没頭できること」を重視していますが、それについては後日改めて…。

 

 

今のわたしを形作った3つの体験は、確かに苦しい体験ではありましたが、不幸な人生だと思ったことはありません。祖母や父のおかげで姉妹4人がバラバラに保護されるような事態にはならずに一緒に暮らすことができましたし、幸せな結婚もできましたし、かわいい息子たちにも恵まれましたから、これを不幸な人生なんて言ったらばちが当たります。単に、生老病死は避けられないこと、というのを同年代よりちょっと早く実感しただけだと思っています。

 

けれど、幸せは多い方がいいと思いませんか?苦しいことを頑張って乗り越えるのも大切かもしれませんが、楽しみを増やすことで苦しい時間をやり過ごす、というのも幸せになるひとつの方法なのではないでしょうか。

いや、やり過ごす、というと消極的ですね。楽しみを増やすことが「苦しい時間を堪えやすくなる心を作ってくれる」。私はそんな風に考えています。

 

それに、もしHANNAHのレッスンの後やご自宅でのマクラメ制作の後で、幸せな気分でにこにこしていたら、ご家族やご友人にも幸せが拡がるかもしれません。幸せは伝染するということは科学的に証明されているそうです。

 

 

わたしを形作った3つの体験と、そこから始まったHANNAHマクラメジュエリー教室。

私にできる最大限のことでたくさんの人の幸せを増やしたい。心からそう願っています。