· 

間違いが直せないと気づいた時の対処法

先日、レッスンの時に生徒様が仰っていたこと。

 

「間違いに気づいてひもをほどくのは、全然苦にならないけれど、間違いに気付かず進めてしまって後から直せなかった時は、そんな自分が許せなくなる」

 

間違ったらほどいてやり直せばいいんだ、と間違い(=失敗)を恐れず、諦めずに取り組むことは本当に素晴らしいことです。

実は、制作をするということは、作品の完成という成功体験の前に、必ず小さな失敗を繰り返し経験することでもあります。誰も、1度も失敗をしないで完成させられる人はいません。もちろん、私もです

このことを逆から見ると、失敗をたくさん経験し、それをどうにか乗り越えることで、失敗に対処できる自信や自分には最後まで取り組めるという自尊心が強化されていくと言えるのではないでしょうか。

 

でも前述の生徒様のように、間違いに気づかずに結び続けてしまい、紐を切って焼き留めし終わって、全体を眺めた時に間違いに気づいた、という場合には残念ながら直すことができません。

 

そんな場合に、皆さんはどんな気分になりますか?

 

あ~あ、がっかり。今まで頑張ったのが水の泡。

後から見れば見るほど、こんなにはっきり間違っているのにどうして気づかなったのだろうと、不思議なくらいに間違いが目立って見えてしまい、自己嫌悪に陥ってしまう。

 

マクラメに限らず、似たような経験は誰もが思い当たるのではないかと思います。

 

ここで大切なのが「最善主義」という考え方だと、心理学者のタル・ベン・シャハー博士は著書に書いています。

完璧主義では非現実的な完璧な姿が基準になるため、その基準を達成できない現実に対して、不満を抱いてしまいます。これに対して、最善主義は、現実の制約の中で最善を尽くそうという考え方ですので、失敗も自然な一部分であり、成功のために欠かせない要素としてとらえることができます。

失敗が嫌だったり、失敗する自分が許せなかったりすると、極端に言えば何もしなければいいということになってしまいます。もし色々な場面において、いつもそのような消極的な態度で生活していたらどうでしょうか。充実した幸せな人生になりそうにはありませんよね。

 

仕事がら命に係わるような現場にいる方でしたら、失敗は許されないということもあるのかもしれません。でもマクラメはその心配はありません。いくら失敗しても、材料費が少し余分にかかる程度です。

 

没頭できて充実感いっぱい。頭が空っぽになってスッキリ。楽しかった。満足した。

 

そんな素直な感情を、ただそのまま喜ぶ時間にしませんか?

 

私はレッスン中に生徒様が作品を完成させた時、難しかったところや分かりにくかったところをお聞きしたり、その生徒様の癖などを指摘させて頂くことはありますが、完成度の高さについてはあまりコメントしません(完成度の高低については、私が指摘しなくても本人がよく分かっている、ということも往々にしてあります)。失敗があっても、満足感を胸にワクワクしながら次を向いて欲しいからです。そして、楽しくて毎日のように結び続けていたら、実はそれが上達の道でもあります。

 

失敗すれば「あ~あ…」と落胆するのは自然なことです。でも「間違っちゃった、残念だな」と「楽しかったな」の両方を感じているのなら、その「楽しかった」の気持ちに注目してハッピーな気持ちで制作を終わらせると、次の制作意欲にもつながって、とてもいい循環ができそうですね。

  

参考文献『ハーバードの人生を変える授業』『ハーバードの人生を変える授業2〜次の2つから生きたい人生を選びなさい』タル・ベン・シャハー著 成瀬まゆみ訳 だいわ文庫(敬称略)